現在、三菱一号館美術館で開催中の「ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展 上野リチ」に行ってきました。
「三菱一号館」はレンガ造りの趣のある建物です。1894(明治27)年に日本政府によって招かれた英国人建築家のジョサイア・コンドルによって設計されたそうです。
当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入り、その他にも階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として貸し出されていたそうです。
三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築で、全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。
当時の建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体され、40年あまりの時を経て、コンドルの設計に従って同じ場所に復元されました。階段部の手すりの石材など、保存されていた部材の一部は再利用されているそうです。
三菱一号館美術館のコレクションは、建物と同時代の19世紀末西洋美術を中心にされています。
今回の「ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」の上野リチは、19世紀末にオーストリアのウィーンで生まれ、ウィーン工芸学校にて、ウィーン工房のヨーゼフ・ホフマンらに師事し、卒業後はウィーン工房でテキスタイル・陶器・ガラス・七宝図案など幅広いジャンルでデザイナーとして活躍し、そのプリント図案は「リックス文様」とも呼ばれ高い評価を得ました。
32歳の時に、ウィーン大学へ留学してウィーン工房に入所していた日本人建築家の上野伊三郎と結婚し、伊三郎の帰国とともに33歳で京都に移住しました。
移住をした1926(大正15)年に京都で伊三郎が上野建築事務所を開設し、リチは美術工芸部の主任として、そして1930(昭和5)年まで在籍していたウィーン工房のためにウィーンと行き来しながら、さまざまなデザインに携わりました。
第2次世界大戦後、1963(昭和38)年まで京都市立美術大学の教授として後進を育てた伊三郎とリチは、その後、ともにインターナショナルデザイン研究所を設立しました。
リチは日本語はあまり堪能ではなかったそうですが、学生への指導はとても熱心で厳しかったそうです。
伊三郎と出会ってウィーンから日本へ渡り、デザインの世界で生涯をかけて全力で取り組んでいたリチの信念の強さを感じました。
展示会場の外に面した廊下から庭園の様子が見えました。東京駅から5分の場所にこんなに緑の茂った素敵な庭園があるとは驚きです。
「ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展 上野リチ」
※~5月15日(日)まで開催予定
オーストリアの公用語はドイツ語で、国民の98パーセントがドイツ語を母国語としています。その他にもスロベニア語、クロアチア語、ハンガリー語を話す人も住んでいるそうです。
ICC外語学院ではドイツ語の他、スロベニア語、ハンガリー語が学べます。
ICC外語学院で学べる言語
http://www.icc-net.jp/world-languages.html