ロシア語のワレリア先生はモスクワ出身です。
モスクワはロシアの首都で、その歴史は1147年より始まりました。モスクワの人口は約1,250万人でヨーロッパでもっとも人口の多い都市で、世界有数の世界都市でもあります。
モスクワ出身のワレリア先生
ロシアの首都は時代ごとに移り変わってきました。ロシア建国の年であるといわれる862年から864年の2年間はスタラヤ・ラドガという現在レニングラード州にある集落で、今は村ですがかつてはロシア(ルーシ)の首都でした。
882年まで20年間はノヴゴロドが首都になりました。現在もあるノヴゴロドのクレムリンは、ロシア最古の要塞と言われていて、世界遺産にも登録されています。
882年にノヴゴロドからキエフ(現在のウクライナの首都)へ首都を移したとされています。12世紀中頃にはキエフの重要性が減り、モンゴルが13世紀にルーシ(ロシア)を侵略してキエフはさらに弱くなりました。さらにモンゴルはロシアの諸公国を征服しました。そしてウラジーミル(モスクワから東へ約200㎞)を特別な地位としましたが、モンゴル軍による破壊後、ウラジーミルは部分的に再建されましたが、過去の栄華を取り戻すことはありませんでした。
スズダリ・ウラジーミル公国のユーリー・ドルゴルーキーによって建設されたモスクワは約200年間で小さな街からロシアの主要都市に成長しました。13世紀後半のモスクワ公、ドミトリー・ドンスコイの時代に領土を拡大し始め、1380年にウラジーミル大公の称号を得ました。時代を経て16世紀半ばにイワン雷帝によりモスクワを「ロシア・ツァーリ国」の首都に選びました。
そして1712年にピョートル大帝は、モスクワからサンクトペテルブルクに首都を移すことを決め、その数年後にロシア帝国が樹立されました。それから1917年のロシア革命にいたるまで、ペテルブルクは首都でしたが、ソビエト新政権は外国の侵略を恐れて、1918年に首都をモスクワに戻しました。なのでこの200年ほどの間に首都が『モスクワ→サンクトペテルブルク→モスクワ』と変わりました。
ロシアの歴史は垣間見るだけでも、劇的な時代の変化を感じます。